山梨の富士信仰
山梨県内にある富士信仰の史跡を紹介しています。特に富士吉田市以外の国中を重点に、文献などに紹介されない眠っている史跡を掘り起こして先祖の生き様を想像できればと願っています。
2019年6月7日金曜日
富士講碑ー上野原市野田尻 (2)
上野原市野田尻
荻野富士講碑
35.632399, 139.057938
上部:富士の笠印に嶽の講印
明治二十八年八月
北口
大先達白倉宝行
講社
施主 白倉安左ヱ門
荻野一里塚の脇に建てられていたが、道路改良の際に当所に移設された。
富士の笠印に嶽は山嶽講で、上野原町、丹波山村、小菅村の範囲にあった。
富士講碑ー上野原市野田尻 (1)
旧甲州街道南の神社(名称不明)の境内にあり
35.632386, 139.054494
富士の笠印に嶽は山嶽講で、上野原町、丹波山村、小菅村の範囲にあった。
富士講碑ー山梨市小原東
山梨市小原東120−10
八日市場跡交差点の東
35.694665, 138.700556
山梨市三日市場から甲州市勝沼町休息へ続く道者街道の近隣に位置する。
冨士浅間大神
右側面:明治廿二年三月 やハタ
丸山講中 古屋刻
150x70x30
富士塚ー甲州市塩山下塩後
甲州市塩山下塩後
35.692153,138.713001
浅間塚・浅間社
Φ=12m,H=1.5m
頂部に石祠があるが銘などの文字は無い
A
B
C
石祠
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