山梨の富士信仰
山梨県内にある富士信仰の史跡を紹介しています。特に富士吉田市以外の国中を重点に、文献などに紹介されない眠っている史跡を掘り起こして先祖の生き様を想像できればと願っています。
2019年6月16日日曜日
精進場―桂川
大月市富浜町宮谷
35.617281, 138.987335
江戸方面からの富士講員が富士山から流出した桂川の水で禊を行ったと言われている。冨士浅間大神の石碑は富士講の笠印はないが、扶桑の文字があることから富士講であることが解る。
冨士浅間大神
扶桑教会神中
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光?清霊神
元祖 角行霊神
食行霊神
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身禄堂ー都留市夏狩
都留市夏狩
35.538697, 138.869674
食行身禄を祀る。
吉田口登山道―馬返
富士吉田市上吉田
35.413398, 138.758945
吉田口登山道の標高1450mに位置する。古くは乗ってきた馬を返して徒歩に変わる地点として山小屋が四軒存在していた。
中ノ茶屋
富士吉田市上吉田5601−1
35.441300, 138.769908
中ノ茶屋は宝永4年(1707)に創建された。北口本宮冨士浅間神社境内にある登山門(吉田口登山道)と「馬返し」の中間地点にあることが名称の由来。
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