拝殿は廃墟化して半壊状態である。この拝殿の背後に富士講碑が3基あり、その内1基が倒れていて詳細を確認できないので須玉町誌のデータを引用した。
富士信仰の密度が濃い旧明野村や須玉町の北部に位置しているこの地域もまた富士講(富士信仰)が盛んだったようだ。
元々は丸文講であったが富士登山三十三度を成就した期に江草講連組として分社、先達は4代まで続いた。当社は明治21年に建立し、当然のごとく祭神は木花咲耶姫命である。また、塩川ダムの小山山頂にある富士講碑も丸文講だ。
拝殿

浅間大神

中央石碑


右側面:于時明治十七年申年四月初中日建之
(文)江草・増富 講中
正面:富士嶽神社 御霊代
左側面:祠官 八巻政謹書
自然石:130x55x37
左側石碑




右側面:明治廿八年七月三日建之 嫡子小沢権左ヱ門
正面:御内八湖五度 当村 登山三十三度 大願成就 御中道三度 中先達 小沢米行
左側面:和歌? お伝え?
裏面:由緒
角柱:125x32x26
右側石碑(倒れている)

天下泰平 登山三十三度大願成就 先代有井六左ヱ門
自然石:92x65x30